アインシュタインの言葉3
人生
われわれが
正直に行動するのを許されているのは
生まれる瞬間と死ぬ瞬間だけ
人間は
孤独な存在であるのと同時に
社会的な存在なのです
人間は生まれる時と死ぬ時は独り
生きている間は社会的存在
わたしたちはみな
他の人々の仕事によって
食べるものや家を与えられています
ですからそれに対しては
きちんと報酬を支払わねばなりません
自分の内面の満足のために選んだ仕事だけではなく
人々に奉仕する仕事をすることによっても
独りで生まれてきたが独りでは生きられない
そもそも動物は植物が無ければ生きられない
生きとし生きるものは独りでは生きられない
ほかの人の喜びを喜び
ほかの人と苦しむこと
これが人間にとって
一番の指針です
人の間と書いて人間
人に対して
正しく賢明な助言をすることはできる
しかし
自分が正しく賢明に振る舞うことは
むつかしい
自分が一番わからない
われわれが進もうとしている道が
正しいかどうかを
神は前もっては
教えてくれない
人は自ら考えるしかない
不幸は
幸運とは比較にならないほど
人間によく似合っている
不幸に遭って
人は学ぶ
熱いストーブに1分間手をのせてみてください
まるで1時間ぐらいに感じられるでしょう
ところが
かわいい女の子といっしょに1時間座っていても
1分間ぐらいにしか感じられません
それが
相対性というものです
可愛い女の子は引力が大きく
空間が歪み
時間が短くなる
時空は相対的である
ある偶然の出来事を維持しようとする
不幸な試みを
結婚という
不幸とは神は
前もって教えてくれなかった
人間とは
わたしたちが宇宙と呼ぶ全体の一部であり
時間と空間に限定された一部である
わたしたちは
自分自身を 思考を そして感情を
他と切り離されたものとして体験する
意識についてのある種の錯覚である
アインシュタインの教えは
ブッダの教えに近いと思う
心というものは
時として知識を超えた高みに
上がることがありますが、
どうしてそこに達したのかを
証明することはできません
すべての偉大なる発見は
そのような飛躍を経たものです
人間にある心、意識のなせる業
私たちが
子どもたちと若い世代のうちに
生き続けることができるなら
わたしたちの死は終わりではありません
彼らは私たちなのですから
私たちの肉体は
生命の木のしおれた葉に
すぎないのです
生命の本質のひとつ
老年にいたっても
人生には
大変美しい瞬間があります
学んできたことが
役に立つ
死はいずれやって来る
それがいつかなんて
どうでもいいじゃないですか
諸行無常
諸法無我
引用:「アインシュタイン150の言葉」
ディスカバー・トウエンティーワン
「アインシュタインひらめきの言葉」
ディスカバー・トウエンティーワン
佐藤勝彦監修「わかる相対性理論超入門」宝島社