謙信は毘沙門天の生まれ変わりだと称し
熱心に信仰した
謙信軍の戦いぶりは負け知らずでしたが、
どれだけ勝利しても領土は拡がりませんでした。
それは
謙信が義を通すことを重んじ、
領土欲がなかったためだと言われています
また
越後では兵農分離がされていないので
雪の降る農閑期に兵になって合戦をし、
戦に勝利して領土を占領しても、
農繁期になると国に帰らなければいけません。
その間に簡単に領土は取り返されてしまい、
その繰り返しになります。
謙信は義のため民のため
武神、毘沙門天に祈り続けたのではないでしょうか?
毘沙門天は四天王の一尊
多聞天とも呼ばれ
武神である
写真1は春日山の毘沙門堂にあって
謙信が拝んだであろう像を
著者が撮ったものである
仏像は
一般的に革製の甲冑を着けた武将姿であり
右手に宝棒、左手に宝塔を持つ姿で描かれる
写真2は運慶作の毘沙門天のレプリカで
著者所有のものである
本物は静岡県伊豆の国市、韮山(にらやま)の
願成就院にある
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