2011年8月26日金曜日

謙信と毘沙門天 Kenshin and Bishamonten

謙信は毘沙門天の生まれ変わりだと称し
熱心に信仰した

謙信軍の戦いぶりは負け知らずでしたが、
どれだけ勝利しても領土は拡がりませんでした。


それは
謙信が義を通すことを重んじ、
領土欲がなかったためだと言われています

また
越後では兵農分離がされていないので
雪の降る農閑期に兵になって合戦をし、
戦に勝利して領土を占領しても、
農繁期になると国に帰らなければいけません。
その間に簡単に領土は取り返されてしまい、
その繰り返しになります。

謙信は義のため民のため
武神、毘沙門天に祈り続けたのではないでしょうか?



毘沙門天は四天王の一尊
多聞天とも呼ばれ
武神である



写真1は春日山の毘沙門堂にあって
謙信が拝んだであろう像を
著者が撮ったものである

仏像は
一般的に革製の甲冑を着けた武将姿であり
右手に宝棒、左手に宝塔を持つ姿で描かれる 





写真2は運慶作の毘沙門天のレプリカで
著者所有のものである
本物は静岡県伊豆の国市、韮山(にらやま)の
願成就院にある

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