林芙美子と直江津
(九月×日)
『古い時間表をめくってみた。
どっか遠い旅にでたいものだと思う。
真実のない東京にみきりをつけて、
山か海かの自然な息を吸いに出たいものなり。
私が青い時間表の地図からひらった土地は、
日本海に面した直江津という小さい小港だった。
ああ海と港の旅情、
こんな処へ行ってみたいと思う。
これだけでも、傷ついた私を慰めてくれるに違いない。
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夜。
土間の上に古びたまま建っているような港の駅なり。
火のつきそめた駅の前の広場には、
水色に塗った板造りの西洋建ての旅館がある。
・・・
硝子戸に、いかやと書いてあった。
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私は二円の宿代を払って、外へ散歩に出てみた。
雲がひくくかぶさっている。
・・・
芝居小屋の前をすぎると長い木橋があった。
ぼんやり立って流れを見ていると、
目の下を塵芥に混じって
鳩の死んだのが
まるで雲をちぎったように流れていった。
旅空で鳩の流れて行くのを見ている私。
ああ何もこの世の中から
もとめるもののなくなってしまったいまの私は、
別に私のために心を痛めてくれるひともないのだと思うと、
私はフッと鳩のように死ぬる事を考えているのだ。
・・・
静かに流れて行く鳩の死んだのを見ていると、
幸福だとか、不幸だとか、
もう、あんなになってしまえば
空の空だ。何もなくなってしまうのだと思った。
だけど、
鳥のように美しい姿だといいんだが、
あさましい死体を晒す事を考えると
侘しくなってくる。
駅のそばで団子を買った。
「この団子の名前はなんと言うんですか?」
「へエ継続だんごです。」
「継続だんご・・・・・・団子が続いているからですか?」
・・・・
・・・・
駅の歪んだ待合所に腰をかけて、だんごを食べる。
あんこをなめていると、
あんなにも死ぬることに明るさを感じていた事が
馬鹿らしくなってきた。
どんな田舎だって人は生活しているんだ。
生きて働かなくてはいけないと思う。
田舎だって山奥だって私の生きてゆける生活はあるはずだ。
・・・・・
煤けた駅のベンチで考えたことは、
やっぱり東京へ帰る事であった。
・・・・
林芙美子 「放浪記」 新潮文庫p290~296抜粋
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