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2015年11月5日木曜日

今朝の春日山と林泉寺

今朝の春日山と林泉寺

山が二つ乳房のように連なっているが
向かって左側が春日山

春日山城は
標高180mの堅固な山城であった

高さは
東京タワーの大展望台並みの城と考えていい
城の高さは約180m
大阪城は58m
そうすると春日山城は大阪城の約3倍
大きな城だ

上杉謙信は1548年19才で春日山城に入って
守護代長尾家を相続した
長野方面を見据える上杉謙信
「大夢」を胸に




上杉おもてなし武将隊

春日山神社境内

母子像

本丸への上りはきつい

毘沙門堂

毘沙門天

下方を望む

謙信も見たであろう城下の景色

「春日山城の説明看板」⇒
http://tadnakada.blogspot.jp/2013/03/blog-post_18.html


謙信が学んだ 禅寺 「林泉寺」

謙信7歳(1538年)天室光育禅師から
禅と文武の道を学んだ




謙信の自著「第一義」
「第一義」とは
ブッダが覚った万物の真理のことです
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+tenka/20130603/p1



禅問答「不識」



毘沙門堂の左にあった不識院跡

林泉寺の和尚 益翁宗謙が
謙信に問うた「不識」の意味について
後にハッと悟りを得ました
「民あっての為政者であることを肝に銘じて
謙虚な心を忘れるな」
ということだったのです


毘沙門天のお守り




睡蓮池にアヤメのようなもの?が咲いていた
なぜ?

謙信の書に、「大夢」という言葉があった

可愛い地蔵さん

謙信のお墓
酒豪の謙信は脳溢血で倒れ
1578年3月13日49才で帰らぬ人となった
謙信は「大夢」を実現できなかったわけだ

辞世の詩

四十九年一睡夢
一期栄華一杯酒

謙信は
諸行無常
諸法無我
を知っていた


参考:花ヶ前盛明「上杉謙信」新人物往来社

2015年10月29日木曜日

紅葉の長野・新潟

紅葉の長野・新潟

長野・新潟の秋は美しい

須坂市・米子大瀑布

光を通す紅葉が美しい

枯葉を聞きながら


渦を巻く水
「諸行無常」の世界
美しい紅葉の山道
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小布施・岩松院



葛飾北斎「八方睨み鳳凰図」岩松院所蔵
北斎89才(1848)の作品
下に見えるのは富士山の隠し絵

懐かしい赤ポスト
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夕日の名所、良寛の里
出雲崎の夕刻
珍しいチンダル現象が見えた

海面に映える夕日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


次の日の朝、春日山に登る
上杉謙信が信奉した
春日山 毘沙門堂


春日山城本丸跡から見る日の出
謙信も見たであろう


朝日を背に自分の影


本丸跡から下を望む
謙信も見たのであろう


親鸞が過ごした国分寺のたたずまい


直江津の海は荒れていた
冬の息吹だ
親鸞はこの厳しい海を見た








2015年8月13日木曜日

春日山神社 五戒

春日山神社 五戒




辛いことが多いのは
感謝を知らないから

苦しいことが多いのは
自分に甘えがあるから

悲しいことが多いのは
自分のことしか分からないから

心配事が多いのは
今を懸命に生きていないから

行きづまりが多いのは
自分が裸になれないかtら


御祭神謙信公春日山神社


春日山





毘沙門堂


毘沙門天

癒しと勇気をくれる春日山城⇒
http://tadnakada.blogspot.jp/2013/03/blog-post_17.html

ビジュアル春日山城⇒
http://tadnakada.blogspot.jp/2013/08/blog-post_19.html

2015年8月5日水曜日

毘沙門天は今日も見ている2

毘沙門天は今日も見ている 2

上杉謙信を祭る
春日山神社

境内のカエル達
かんがえる


振りかえる

無事かえる

智恵袋



春日山城跡に登った
毘沙門天

天守閣跡から日本海と町並み

町並み

天守閣裏の山々

義の武将謙信は
何を思いながら
この風景を
見ていたのだろうか