真実と正義 デカルト、アインシュタインに学ぶ
デカルト(1596~1650 フランス)
真実を知るにはどうしたらよいか
近代哲学の父デカルトは
先ず、あらゆるものを疑ってみた
そして
先ず、あらゆるものを疑ってみた
そして
自分が今考えているという事実は
疑う余地がないことを知った
自分の意識だけは疑えない
そこで
そこで
「我思う、ゆえに我あり」
に行き着いた
ということは
逆に言えば、
自分の意識以外は
全て疑わしいことになる
意識(心)の存在は疑うことができないが
その自分の意識が考えている内容が
真実かどうか 正しいかどうか
全く分からないということになる
欲に狂った妄想であるかもしれない
また意識(心)の思うことは
時間と共に変化する
諸行無常
万物流転
である
正しいかどうかは証明が必要ということになる
ということは
逆に言えば、
自分の意識以外は
全て疑わしいことになる
意識(心)の存在は疑うことができないが
その自分の意識が考えている内容が
真実かどうか 正しいかどうか
全く分からないということになる
欲に狂った妄想であるかもしれない
また意識(心)の思うことは
時間と共に変化する
諸行無常
万物流転
である
正しいかどうかは証明が必要ということになる
引用:「日経いおとなのOFF」 日経BP社 8、2015
真理を知るには
哲学だけでは限界があり
サイエンス(科学)の実証が必要ではないか?
アインシュタインの質量とエネルギーの換算式は
思考実験から始まったが
式の正しさの実証には
30年近くかかった⇒
哲学だけでは限界があり
サイエンス(科学)の実証が必要ではないか?
アインシュタインの質量とエネルギーの換算式は
思考実験から始まったが
式の正しさの実証には
30年近くかかった⇒
http://tadnakada.blogspot.jp/2015/06/blog-post_13.html
そして彼の科学の真実は正義ではなかった
事実ではあるが
原爆の形で日本人を苦しめることになった
参照:「アインシュタインの悲しみと懺悔」⇒
http://tadnakada.blogspot.jp/2015/06/blog-post_9.html
我々が正しい考えを持つためには
少なくとも
デカルトとアインシュタインに
学ばなければならない
「真実が正義となったとき
初めて真理となる」
と思う
そして彼の科学の真実は正義ではなかった
事実ではあるが
原爆の形で日本人を苦しめることになった
参照:「アインシュタインの悲しみと懺悔」⇒
http://tadnakada.blogspot.jp/2015/06/blog-post_9.html
我々が正しい考えを持つためには
少なくとも
デカルトとアインシュタインに
学ばなければならない
「真実が正義となったとき
初めて真理となる」
と思う
「真は美」⇒
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